沿革(今日までの歴史)

当会は、戦前より工主会として、阿倍野区において工業生産に関係するものの有志により、組織されたものであります。
戦時中は、時の要請により、産業報国会に改組させられたのでありますが、昭和20年終戦により、産業報国会は解散し、その後一時阿倍野産業倶楽部と称した時期もありましたが、昭和21年11月1日任意団体として正式に阿倍野工業会が組織されました。

発足当初から中小企業の振興育成に努めておりましたが、任意団体では社会的な信用にも影響することもあり、昭和28年11月9日付をもって大阪府知事の認可を受けて、社団法人阿倍野工業会となりました。
また、昭和28年10月には、法人格を備えるに際し、その事務所を区内松崎町3丁目163番地に建設しましたが、昭和43年4月にはその事務所を処分して、社団法人阿倍野納税協会と阿倍野区商店会連盟並びに当会の3団体の協議により社団法人阿倍野産業会館を設立、および現会館を建設、入居することとなりました。

この会館は、独立した社団法人(現在は一般社団法人)とし、その運営は以上の3団体よりそれぞれ役員を選出して、合議制により運営され、地域の中小企業の振興育成と文化振興の中心的な役割を発揮しています。
昭和34年8月1日には、当時の労働大臣の認可を受け、労働保険事務組合として会員企業の経営者も入れる特別加入をはじめ、そこに働く従業員の労働環境改善のための労働保険手続きもできるようになりました。
また、昭和46年11月には、会員拡大と事業の発展のため、工業会から産業会へ名称変更しました。
現在では市工連傘下26団体中11団体が産業会の名称で運営されていますが、いち早く変えたのが阿倍野でした。
公益法人等の関係法に基づき、平成24年4月1日付で大阪府知事の認可を受け一般社団法人阿倍野産業会となりました。
平成26年2月17日には、将来及び現在の若手経営者の青年部を設立し、令和3年12月14日付けで年齢を緩和して青年部を王子会としました。
女性経営者を中心とした女性部については、平成27年1月14日に設立。当産業会として、王子会・女性部の活動を支援しております。